日本の伝統芸能とカツラ

日本の伝統芸能、能や歌舞伎はカツラを被って演目を演じています。
どのような経緯でカツラを被るようになったのでしょうか。

奈良時代に登場するカツラ

もともと日本では、奈良時代にカツラを被っていたという記録が残っています。
奈良時代の法律「大宝律令」では、女子は朝廷に出仕するときには(今で言う出勤ですね)、朝服と義髻(つけ髪)を使うように定められていました。
皆同じ格好というのは、現代の学校の校則みたいな印象をうけますね。

また、枕草子源氏物語でも、カツラ(鬘・かづら・加美乃須恵などと表記)が登場します。日本でも古来より見栄えを良くするという目的でカツラが使われていたようですね。

江戸時代にカツラは日常的に使われた

江戸時代にはいると、髪の毛を結んだ各部分には、「かもじ」というつけ毛が多く使われるようになりました。

つけ毛が多く使われるようになった背景には、女性の髪型が多種多様となってくるのに伴い、つけ毛の種類が豊富になってきたようです。

江戸かつら 町娘

江戸かつら 町娘

確かに、時代劇を思い出すと、お武家の奥様や町民の女性の髪型、遊郭の女性がするかんざしがたくさん刺さったとてもボリュームのある髪型まで。これらの髪型を地毛で補おうというのはなかなか難しいものがありますね。

能のカツラ

日本の伝統芸能の能のカツラは、鎌倉時代の中期に完成されたと言われていますが詳しいことは分かっていません。つるくさのかつらの伝統をハチマキとして残し、そこから発展したのでは?と考えられています。

能では、かつらを付けてから鬘帯で締め面をつけます。昔はカツラを衣装の外に出していたので確認出来ましたが、現在の能では、かつらを衣装の中にしまうためカツラを見ることができません。
けれど、山形県黒川能では、今でも昔の伝統を引き継いでいる姿をみることができるため、興味のある方はチェックしてみてはいかがでしょうか?


歌舞伎のカツラ

歌舞伎は、出雲阿国が始めた女歌舞伎から幼年が演じる若衆歌舞伎を経て、現代の歌舞伎に通じる野郎歌舞伎が登場したことからカツラが発展したようです。

女形を演じるためのカツラ

歌舞伎のカツラが野郎歌舞伎から発展したのは、髪型が原因にあると考えられています。
野郎歌舞伎のはじまりは、江戸時代で、この頃の日本人の男性の髪型は、月代が入った髪型で頭頂部がツルツルです。美女が誘惑するような色っぽい演目を演じるにも、役者の頭がツルツルでは雰囲気出ませんものね…。

歌舞伎のカツラは女形を演じるために発展していきました。

皆が頭頂部ツルツルなので、現代のように育毛剤で頭頂部に効果がでるか四苦八苦することはなかったのでしょう…。羨ましい限りです。


能のカツラを参考に部分的なカツラだった歌舞伎のカツラは進化していき、18世紀の後半には全頭型のカツラになるまで進化し、明治初期には現在の歌舞伎カツラになったと言われています。

現在の歌舞伎のかつらは、かつら専門のかつら師が俳優の頭に合わせたものを一から作り完成させるものです。今度、歌舞伎を見るときにはカツラにも注意して見てみようと思いました。