月代の作り方

こんにちは!
お盆休みはゆっくり読書でも〜なんて思ってましたが、夢に終わりました。
本を手に寝ころんだ瞬間、どこからともなくお腹にダイビング。うちの娘は今日も元気です。

戦国武将の月代

私は、昔から戦国武将に憧れていました。
戦国武将といえば、髪型は前頭部から頭頂部をくるっと剃り上げた月代(さかやき)。
「月代なら自分の髪の毛が生かせるのでは!?」頭頂部に不安がある今では、昔以上に羨望のまなざしを送らずにいられません。

兜で蒸れるから

さて、なぜ月代という風習ができたかというと、兜をかぶると蒸れるからと聞いたことがあります。
蒸れて暑さに気を取られたら戦いどころじゃありませんからね。命まで取られかねません。

さらに、中が蒸れて兜がずれてしまうのを防ぐためでもあったようです。
戦いの最中に兜を直す余裕なんてありません。命を守るためのヘアスタイルだったんですね。

サカイキの転訛説

武士が月代を剃る理由の、もう一つの説をご紹介します。
Wikipediaに出ていたから知ったのですが、「戦場で兜をかぶると気が逆さに上るから、そのイキを抜くため」だとか。江戸時代の伊勢貞丈の説です。
イキというのは意気のことでしょうか。
心意気があるのは大事だけど、頭に血が上るようじゃ困ります。
冷静な気持ちも持っていないと戦には勝てませんからね!

月代は抜いて作る

月代はもちろん自然にできるものじゃありません。
私は剃るのだとずっと思っていましたが、実は髪を剃るんじゃないということを知りました。

抜くんです!

もったいないことを……。というか、痛そうです。私の胸まで痛くなってきました。

実際、武将たちも痛かったようです。頭皮に炎症を起こしたり、兜を被る際に痛みを訴えたりする者が多くなったとか。

なお、月代にしていたのは戦いのときだけで、普段は髪を伸ばしていたそうですよ。
髪を抜いたあとに育毛剤を使ったらヒリヒリしそうだなあ〜。

豊臣秀吉が天下統一したころからは毛を剃って月代を作るのが主流になったようです。

薄毛は現代の月代?

戦いのない江戸時代になっても月代は続きました。
武士にとっては「いつでも戦えます」「主君に忠義を示します」という忠誠心の証。
武士ではない町人たちも武士を真似し、ファッションとして月代を剃り丁髷をはじめとする「まげ」を結うスタイルにしていました。

幕末以降は洋装が広まり、月代とまげの文化は終わりました。

まげこそ結わないものの、薄れゆく頭頂部は会社への忠誠心を示す現代の月代なのかもしれません。
アタマも冷えてクールに考えられそう。

けれど、兜どころかめったに帽子もかぶらないのだから、髪はフサフサに限ります。
育毛剤を片手に、今日も髪への情熱は揺るがないパパハゲでした。