日本人のカツラの始まりは育毛剤の市販の発展

先日、世界史からみたカツラの始まりと隆盛を調べ、驚きの真実と涙ぐましい努力を知ることが出来ましたが、果たして日本のカツラのはじまりはいつだろうと、疑問をもったので調べてみました。

日本のカツラのはじまり

以前、お伝えした世界史のカツラ事情で、カツラの始まりは17世紀ごろのヨーロッパだということがわかりました。フランス王 ルイ13世が脱毛の影響からカツラを被り始めたことがきっかけになり、身分の高い人にとってカツラがマストアイテムとなったようです。

一方、日本でのカツラの始まりは、幕末から明治時代にはいったころの文明開花がきっかけだったようです。

髪型自由時代の始まり

幕末の日本では洋式軍制の導入が始まり、ちょんまげを結わない風潮が少しずつ広まりつつあり、文明開化で西洋の文化を取り入れ始めたこともあり、政府が「断髪令」をだしました。
断髪令は「髪の毛を切れ」という命令ではなく、「髪型を自由にしてもいいよ、ちょんまげはしなくてもいいよ」という人々に髪型の自由をおふれをだすものです。

幕末以前は身分によって髪型が違っていたので、風習にとらわれなくてもいいよ、ということだった意味もあったかと思います。

歴史の授業で「散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」というフレーズは、断髪令からきていたんですね。

ちょんまげの終わり

人々は断髪令がでて徐々に髪型を変えていきましたが、当時の日本人の多くは髪の毛を切ることに抵抗があり、様々な騒動が各地で起こっていたことが記録されています。

なにせ、日本では古来より男性も女性も地毛で髪を結い上げていました。
女性はかんざしなどを使い髪の毛を結い上げる髪型。
男性は頭頂部と前髪を剃り上げてちょんまげをつくる、U字ハゲともいえる髪型がスタンダードだったのです。

時代によって少しちょんまげの結び方が変わりますが、この髪型はどうも鎌倉時代(1185年)ごろからはじまり、そして江戸時代の終わり・明治の初期辺り(1868年)まで、およそ680年続いていたのです。時代が変わったからといっても先祖代々同じような髪型を変えるということは抵抗があった気持ちもわかります。

薄毛を隠せなくなった

散切り頭にしたため、ちょんまげを作るために頭頂部分の髪の毛を剃り、ツルツルにキープする必要がなくなってきました。逆にどんどん頭頂部分に髪の毛を生やしていたのですが、薄毛の人はそうはなりませんでした。

以前まで、「薄毛であっても頭頂部の髪の毛をそる必要がないから楽」だったのが一転し、「いつまでも頭頂部には髪の毛が生えてこないし、皆と同じ髪型ではないではないから気になる」ということから赤信号みんなで渡れば怖くない、ではないですが、「みんなと同じ髪型ではなく、薄毛であることをカツラでかくしたい」という思いから、大多数と同じ髪型にするためカツラが必要になったのかもしれませんね。
薄毛を隠すためにカツラに注目が集まり始めた時と同じように、同じく育毛剤に注目が集まり、育毛剤の市販がすすみ、今の育毛業界の発展につながったのではないでしょうか。